Sweet glow 4



なぜか、その日1日リョーマは落ち着かなかった。

ただそわそわと授業が終わり、練習時間の来るのを待っていた。

しかしその待っていた時間でさえも彼を落ち着かせる事は出来なかった。

「どうした、越前。らしくないな。」

対峙していた桃城が不思議そうに言った。

「らしくないって・・・オレ、勝ってません?」

「・・・点数は置いといてだな。」

桃城は苦笑いしながら言う。

「集中力がいつもと違うぜ。」

「・・・・・」

「何か気になる事でもあるんだろ?」

「!」

サーブのために投げ上げたボールの角度が微妙にずれた。

「フォルト」

ネットに引っかかって落ちた球に桃城がにやり、と笑う。

「あたり、だな?」

「・・・桃先輩には関係ないっしょ。」

リョーマは帽子を目深くかぶり直すと渾身の力を込めてサーブを打ち込む。

鋭い打球、今度は一発で決まる。

しかし桃城はそんなリョーマを面白がって切り込んでくる。

「もしかして、気になる奴でも出来たか?」

「・・・っ!」

リョーマの目が見開かれ、次の瞬間、鋭いスマッシュが桃城の脇を抜けていった。

「はい、オレの勝ち。まだまだっすね、先輩。」

ラケットでとんとんと肩を叩きながらリョーマは宣言する。

「心理戦、ムダでしたね。」

そう言い棄て軽く舌を出すと、リョーマはベンチへと歩いていき、乱暴に腰を下ろすと、傍らに置いておいたタオルで顔をぐっと拭った。

 “キレイな色だね”

その鮮やかな青が視界に映って、不意に先ほどの言葉が蘇る。

“僕、この色好きなんだ。”

そう言って笑ったあの人の顔。

リョーマは視線を上げ、コートを見渡す。

いつもなら容易に見つかるはずのその姿は未だにない。

「おおこわ。」

対峙していた桃城が、頭をタオルでがしがしと拭いながらリョーマの座っているベンチの隣に腰を下ろした。

「お前さ、さっきの最後のサーブとショット、なんか乗り移ってたぜ。」

桃城の軽口に肩をすくめるリョーマ。

「で、越前。」

「何すか?」

「お前の気になる奴、ってどんな奴?」

いきなりの桃城の言葉にリョーマは目を見開く。

「まーだそんな事言ってるんっすか?」

「まーだってまだ終ってねぇぜ、その話。」

呆れ顔の後輩に無邪気な先輩は好奇心満々の笑顔を向けている。

「・・・聞いてどうするんっすか?そんな事??」

「え?じゃやっぱそんな奴いんの?」

へぇ、と目を見張る桃城に、引っ掛けられたと思ったリョーマは嫌な顔をした。

「・・・オレにそういう人がいるのってそんなにおかしいっすか?」

「いやいや、とんでもない・・・で、どんな奴?」

おどけつつも質問を逸らさない桃城をリョーマは嫌な顔をして睨んだが、そんな事で引くような先輩でない事はわかりかけている。

「・・・テニスは上手い・・・かな?」

仕方なくそう言ってリョーマは肩をすくめる。

「あとは教えられないっす・・・もったいなくって。」

「何だよ〜ケチ!」

ぶーたれた桃城は肘でリョーマのわき腹を小突く。

「それじゃ何も言ってないのと同じだろ?」

“教えたくても教えられないよ、あの人の事はロクに知らないから。”

桃城の文句にリョーマは小さくため息をつき、内心で呟く。

・・・ああ、あとオレと同じ色が好きだって言ってたっけ。

先ほどあの人と会話を交わした事をふっと思い出す。

あの人とああして話すのは初めてだった。

あんなに会う事を望んでいたのに、会った途端何も言えなくなって、ただあの人を目で追っているだけで。

でもあの笑顔を間近に見た時、照れくささとかそういったものがどうでもよくなって、あの人に伝えたくなったのだ。・・・2年前のあの日の事を。

 

軽くため息をついてリョーマは空を見上げる。

空は下り坂に向かっており、今朝見た予報の正しかった事を告げている。

“夕暮れには雨になるな”

生暖かい風が頬をなでる感触に眉をひそめながらリョーマはそう思った。

 

4階にある生徒会室の下はちょうどテニスコートだ。

開け放った窓からはボールを打ち合う弾けるような音が聞こえてくる。

「すまなかったな。」

「生徒会長が部長を務める部から誰も出席しないなんて格好つかないでしょ。」

各席にプリント物を配りながら不二はちょっと笑う。

「それに部長じきじきの指名は断れないし。」

今日は年に一度の部の予算委員会に当たっていた。本来なら部の部長がそれに出席する事になっていたが、手塚は生徒会長も兼任しており、副部長の大石は風邪で学校を欠席していた。

朝、手塚にその代理を頼まれた不二は彼に付き合ってこうしている、という訳だ。

時間がまだあるせいか生徒会室には自分達ふたりしかいない。

手塚はプリント物のチェックに余念がない。不二は窓際に歩み寄り校庭を見下ろした。

ランニングをする者、柔軟体操をする者、そしてコートに入っている者。それぞれ三々五々の動きをしている者達の動きをさり気なく目で追う。

“やだな、癖になってる。”

ベンチに座って誰かと話しているらしい白い帽子を目で捉えた不二は自分の行動に苦笑する。

もう、こんな事は止めないといけない。今朝方と同じセリフを胸の中で繰り返す。

・・・そう言えば、あのコは何を言いかけたんだろう?

ふっと今朝の事を思い出す。

もしかしたら、気付いているのかもしれない、自分があのコを見ていることを。

昔、出会っている事をさり気なく彼に伝えてしまえばすむ事なのだろうが、それがなぜかひどく怖かった。

伝えるにはあまりにも経ちすぎた時間。

・・・もし、あのコがその事を覚えていなかったとしたら・・・?

「部が気になるか?」

その声にはっとして振り返ると手塚がこちらを見ていた。

「まぁね。」

不二は曖昧に濁すと窓際に背を向ける。

「・・・そう言えば聞いていなかったな。」

「何を?」

不二が小首を傾げて手塚を見る。

手塚はまっすぐ不二を見ていた。鋭い刺すような視線。それは今朝方していたのと同じ目。

「何を?」

その視線に不二は焦れて手塚を促す。しかし手塚は何も言わない。言わないで不二を見ている。

根競べだ、不二はそう思い、彼をじっと見つめ返す・・・

「だとしたらどうなの?」

しかしそれに負けたのは不二だった。肩をすくめ、いささか投げやりにそう言う。

「それはそれだけの事だよ。伝えたところで何の進展もありはしない。」

自分が求めているからといって相手が求めているとは限らない。

自分がどれだけ大切に思ってもそれを受け入れてくれない人間もいる。

自分を振り払うようにして出て行った身近な者の後ろ姿を苦い記憶と共に思い出す。

一緒に過ごしてきた人間でさえ、伝えきれない事は山ほどあるというのに。

「でも、それを知らなければ先に進めないのも事実だ。」

手塚のその言葉に不二ははっとしたように彼の顔を見る。

「そんな事、とっくにお前は気付いているんだろう?」

「・・・嫌な奴だね、キミは。」

「お前ほどじゃない。」

不二はちょっと笑って手塚の顔を見る。

「何だ?」

「・・・ん、君の望むことでかなわない事なんてないんじゃないかと思ったんだ、今。」

端正な顔、明晰な頭脳、そしてテニスプレーヤーとしての稀有の資質。何一つ欠けている所が見あたらない。そんな彼が不意に羨ましく、憎らしくなって。

「可能性など誰にでもある。それに賭けられるかどうかだ。」

孤高の天才はあくまで静かにそう返す。

「もしそうだったらどれだけいいかわからないね。」

「・・・オレもそう思う。」

皮肉交じりにそう言った言葉に返ってきた思いがけない彼の返事に不二はまじまじと彼の顔を見つめる。

その表情は相変わらず静かだが、その目からは先ほどの鋭さは消えていた。

その色はひどく寂しげに見え、不二ははっとする。

「手塚・・・?」

彼はすっと不二から視線を外す。その突き放したような冷たい横顔はもういつも見慣れているものだ。

生徒会室の扉が開き、徐々に生徒が集まりだし、手塚の周りにもちらほらと人が集まりだす。
不二は自責のため息をついて割り振られた席へと腰を下ろした。



部活の終る頃、空は本格的に崩れだし、今にも雨が降りそうな様相を呈してきた。

「早くしないと降って来るぞ!」

先輩の桃城がリョーマに冷やかすように声をかけ、帰っていく。

今日はボール当番に当たっていた。出来るだけ散らばったボールを拾い集め、籠に戻さなければならない。当番である事、雨の降ることを見越して今日は自転車で来ていたが、降りだす前に何とか帰りたい。

でも、その動作はいつになくもたついてしまう。

“あの人、来なかったな”

あまりの気の散りようにリョーマは諦めて、考えないようにしていた事に思いを馳せる。

朝から落ち着けなかったのも、部に来てから集中力を欠いていたのも、あの人・・・不二に会いたくて会えなかったせいだとリョーマは気付いていた。

理由などなかった。ただ、あの人の姿が見たかった。

“そういえば朝、部長があの人に何か言っていたっけ”

部長と肩を並べて歩くあの人の後ろ姿を思い出す。

多分、部長と一緒なのだろう。

そう思った途端、胸が詰まったような苦しさを覚えた。

当然のようにあの人と肩を並べて歩く部長。

今日、あの人と会話らしい会話をしたばかりの自分となんて違いだろう。それが悔しくて。

こんなに近くにいるのに、その距離は遠い事を改めて知らされた気がして。

その事に苛立っている自分を知る。

 

・・・ボールを何とか集め終え、着替えを済ます頃には部員は自分ひとりになっていた。

仕方なくリョーマはクラブハウスの鍵を返すべく校舎へと引き返した。

新入生である自分はまだ良く鍵の保管室の有り場所がわからない。

とりあえず職員室に行けばいい、そう踏んでほとんどの明かりが消えた校舎を進む。

「すんません、テニス部ですが・・・」

明々と蛍光灯の灯る職員室の扉を開け入室すると、そこに思いがけない人の姿を見つけ、リョーマは思わず目を見開いた。

「不二・・・先輩?」

「越前・・・?」

プリント物を持った不二がその声に振り返り、驚いたような顔をこちらに向ける。

「・・・何?今帰りなの?」

「・・・うす、ボール当番だったんで。・・・鍵って何処に片付けたらいいんです?」

・・・胸がドキドキしていた。それを悟られないように不二から視線を逸らし、さり気ない様子を装う。

「あ、鍵はその後ろ。・・・でも随分と遅くない?今日は?」

「・・・先輩こそ早く帰らなくていいんすか?」

時計を見ながら首を傾げる不二を横目で見ながらリョーマが言う。

「もうじき雨降って来ますよ。」

「うそ。」

少し慌てたように外を見、空を見あげて不二は眉をしかめた。

「もしかして、傘持ってきてないんっすか?」

「今朝、天気予報、見てこなかったんだ。」

そう言って苦笑しながら不二は頭をかく。

「オレ、送るっすよ。今日、自転車で来ましたから。」

・・・気が付くとリョーマはそう言っていた。

「え?でも・・・」

「早くしないと雨、降ってきますよ。もう、いいんでしょ?ここ?」

いきなりの言葉にびっくりしたように自分を見る不二に、たたみかけるようにリョーマは言う。

「それとも誰かと約束あるんすか?」

「・・・いや、それはないけど。」

「じゃ、早く。」

不二が誰かと会う前にここから連れ出しておきたくて、リョーマは不二の腕を引く。

多少の強引さは雨のせいにして。いや、強引だと思われても構わない。

今、この人と離れたくない。そんな気持ちだけがリョーマを支配する。

「・・・いいの?」

「そう思うんだったら早く!」

自分の強引さに根負けしたのか、素直にリョーマの腕に引かれだした不二に、焦っていたリョーマはやっとほっとし、ちょっと笑った。

 

不二の手首を握る左手にほんの少し力がこもった・・・